あの日見上げた空に






レッツゴーワールドハウス

第一話 「あんた達には負けないわよ」


少し昔を振り返る。まだ学生時代の頃の話だ。 私は世田ヶ谷の池尻大橋の、古い外人アパートで住み込みの管理人のアルバイトをしていた。2階建ての今にも崩れそうなアパートだったが、四畳半一間の部屋が10ほどあり、その一部屋一部屋で外国人が1〜3人ずつ生活していた。

今思えばよくもあんな小さな建物にあれだけの人数が住めていたな〜と思ってしまうが、外国人であるという事だけで賃貸マンションなどへの入居を拒否される事は多いのだ。そのアパートの経営者は、そんな外国人の弱味に付け込んだ形で、簡単に入居はさせるのだがものすごく高額の家賃をとっていた。その当時、おそらくあんなボロアパートならば、池尻大橋でも一部屋2〜3万が相場だっただろう。しかし、そのアパートは安い部屋でも6〜7万ちょっと広い部屋など10万近くもした。日当たりは悪く、風は通らず、furnished とは言っても、カビ臭いじとっとした布団と毛布と、小さなちゃぶ台だけの部屋だった。

彼等の職業はだいたいは民間の英語学校の教師だったが、その他にも旅の途中の留学生とかエジプトから来ている大学教授、娼婦なんかもいた。住む場所を選べない彼等はそんな悪条件でも、とにかく住居が決まってよかったと喜んで入居してくる。

そんな小さな小さなアパートは「LET'S GO WORLD HOUSE」という変な名前だった。外国からきたのに"Let's Go World"はないだろう。管理人として引っ越していった初日は、昔からの住人達にとても冷ややかな目で見られて恐かった。
「これまでも何人ものあんたみたいな若い子が、管理人として越してきたけど、みんな1週間ももたずに出ていっちゃったわよ〜」といった感じの事を早口の癖のある英語で言われた時には、返す言葉もなかった。やっていけるかなぁ、といった不安な気持ちを今でも覚えている。
ゴキブリの走る台所。溢れかえるゴミ.かびだらけのバスルーム。手強い相手はこの生意気な外人達だけではないわ〜。なんて頭を抱えてしまったが、「あんた達には負けないわよ〜」などと何故か意気込んで、越していったその当日、自分の荷ほどきもおわらないうちに、私はアパートの掃除をはじめたのだった。

まずはキッチンをぴかぴかに磨き、共同冷蔵庫の中の腐った食べ物を容赦なくぽいぽいと捨てて、ゴミ用のバケツを磨き、油性の太マジックで「BURNABLE」「NON-BURNABLE」「CANS/BOTTLES」と書いた。これはなんだ?と住人達が聞いてくる。「ゴミは分別して出す事!間違った出し方をしたらそれは個人へ返しますから!」なんて、下手な英語で、それでも意気込んだ英語で彼等に伝えた。ほ〜、こいつは何か今までとは違う変な奴だと思ったよと、ずっと後になってJanという、長老(といっても30代の女性だったが)から聞いた。

私の池尻大橋での戦いがその日から始まった。卒業後に仕事でニューヨーク行きが決まるまでの1年半の期間を私はそのボロボロのレッツゴーワールドハウスで過ごした。たくさんの変な外国人達と一緒に、楽しくもあり、切なくもあり、時にはドキドキするような事件発生!の毎日がはじまった。



第二話 「洗濯ババア」


レッツゴーワールドハウスは、通りから狭い路地を入った一番奥にあった。そのあたりは皆古い住宅ばかりで、ハウス以外にも小さなアパートが所狭しと立ち並んでいた。すぐ隣も小さなアパートだったが、どんな人たちが住んでいたのかは全くわからなかった。田舎ではあり得ない事だろうが、東京とはそういう街だ。すぐ隣の住人とすれ違った事もないという話はざらである。

そんな中でも、ハウスの外人達の間で有名な御近所さんが2人いた。ひとりはハウスの前の一軒家にお住まいだった遠藤さん。とにかく親切な方だった。電話代のない外人達に国際電話をかけさせてくれたり、美味しいものがあると届けてくれたり、そして何よりも遠藤さんの笑顔はとても素敵で、寂しい思いをしているハウスの外人達は遠藤さんのその笑顔にどれだけ元気づけられた事だろう。ハウス内でパーティを開く時には、必ず笑顔の遠藤さんをご招待した。

そしてもう一人は「洗濯ババァ」
ハウスのすぐ隣のアパートの一階に50歳くらいのひとり暮らしの女性がいた。その女性は一日中洗濯ばかりをしているのでハウスの外人達が「洗濯ババァ」と呼んでいたのだ。洗濯といっても半端な時間ではない。明け方3時とか4時から、夜中の12時くらいまで。何度も何度も洗濯をするのだ。それも金製のタライを外に持ち出してである。そのカランカランという音が明け方から響くのだからたまらない。彼女はその時にいつも木製のゲタ(昔、公衆トイレとかに並んでいたアレ)を履いていた。タライの音に加えて下駄の音までもが、毎朝外人達の眠りを破った。

外人達も最初のうちは我慢していたようだが、ある日ジャン(カナダ人)がついに切れた。窓を開けて、大声で、つたない日本語で叫んだ。
「シズカニシテクダサイ!センタクババァサマ」
それを機に、ハウスの外人が皆切れた。明け方4時ころに、カランカランと音がするとハウスのどこかの窓ががらがらっと開いて「ウルサイ」と誰かが叫ぶ。洗濯ババァの方も負けずに、ますます大きな音をたてる。はっきり言って悪夢のような毎日だった。

しばらく、そんなやり取りが続いたが、ある日ジャンが私の部屋を訪ねてきた。
「ひろみ、ワタシこんな状態はもう耐えられないから、ババァに話をしに行くヨ」
嫌な予感がした。
「ひろみもイクヨ」(やっぱり)
一緒に行って私にどうしろ、っていう訳?
「ひろみ通訳ネ」(あのね、あなたの日本語で十分いけてるよ)

しぶしぶとジャンにつきあって、洗濯ババァの家へ行った。彼女はまた洗濯の途中だった。
「お忙しいところすみません、うちの住人が話があるというので連れてきました」
「何ですか?」
洗濯ババァは、固い表情で登場した。(う、こわい)
もうそこからはジャンが流暢な、そしてとても無礼な日本語でクレームを並べ始めた。
朝早くからうるさくて、目が覚めてしまって困っている。せめて朝7時か8時までは洗濯は自粛してほしい、というような事を一生懸命日本語で訴えていた。通訳なんてほんと必要ないじゃないねぇ〜。しかし相手は洗濯ババァだよ。おとなしく話を聞くはずがないじゃない。ついに洗濯ババァの反撃がはじまった。
「私は昔、秋葉原のガード下に住んでいたのだ。電車の音がうるさくて、もっと大変だったんだ。洗濯の音なんて、電車の音にくらべたら静かだよ」(え?何?何?それって全然言い訳になってないよ〜)「朝4時に洗濯してうるさい、って言うけど、あんた達だって夜の10時11時にシャワーを浴びてるじゃないか。その水の音だって相当うるさいよ」(12時の洗濯よりはいいでしょう〜)
「私は雑巾なんかを使って、汚れたらすぐに洗わなくちゃ気がすまない。汚れた物はすぐに洗わなくちゃ気がすまない性格なんだよ」
「下駄が好きなんだよ。ゴム草履はべたべたして嫌なんだ」
まぁ、次から次からへんてこな理由を並べて、こちらが口を挟む間もないくらいだった。
ジャンはついに英語で文句を言い始めた。私に通訳しろ、と言う。(うっ、きたか)
でもとてもとても通訳できない言葉(Fからはじまる汚い言葉とか)ばかりを並べて、通訳はできないよ、まったく。それでもジャンの言い分をなんとか洗濯ババァへ伝えたものの、洗濯ババァの反論は意味すら通らず、そんな中でだんだんイライラしてしまったのは私だった。だんだんと声が大きくなってしまっていたようで、ふと我に返ってまわりを見回したらすごい人だかりだった。日本人と外人が喧嘩をしてる、と野次馬が集まっていたのだった。顔が真っ赤になるのを感じたが、ここで負けられないジャンと私は「ばか言ってんじゃないわよ〜」って捨て台詞を残して、すごすごとハウスに戻ってしまったのである。
今、思い返してみても、私があんなに大きな声で、それもあんな激しい口調で誰かと喧嘩をした、というのはその時だけである。

結局次の日からも、ますます大きなカランカランという音が、もっと早い時間から私達の眠りを破る事になる。ジャンは耳栓を買ってきたようだが、悔しさがおさまらない様子で色々と策を練っていた。
「犬のフンを紙袋に入れてババァの玄関先に置いて火をつけよう。そして火事だア〜と叫ぼう。ババァが出てきて足で踏んだら面白い・・・」(面白いというより、後が恐いよ)

でもそんな事を実行できるほど性格の悪いジャンではないから、結局は泣き寝入りするしかないLET'ES GO WORLD HOUSEの外人達と役立たずの管理人だった。




第三話 「路地に咲いた花火」


その後も洗濯ババァとハウスの外人達の戦いは毎日毎日続いた。
まだ暗いうちから響きわたるカランカランという音。そしてガラガラ〜と窓の開く音。「ウルサイヨ〜」の声・・・・。
私の部屋は洗濯ババァ側ではなかったが、それでもすごい音だった。ジャンの部屋は隣のアパートのすぐ横だったので、あの音は本当に耐えられなかっただろうな、と今振り返っても気の毒になる。
ある日の事、私の友人のまゆみちゃんが遊びにやってきた。夏の暑い夜だった。私達は夕食を済ませ、暑さに耐えられずにシャワーを浴びた。それでもまだ暑くて汗が吹き出してくる。ジャンやその他の外人達も暑くて暑くて玄関先に次々と出てきて涼んでいる。

ハウスの前は細い路地になっていたため車は入ってこれないから外人達はよくその路地にござを引いたり、ビーチチェアなどを持ち出してごろごろしていた。ジャンなんて、いつだって超ビキニ姿で登場するから女の私でさえ目のやり場に困ったよ〜。わざわざすご〜いビキニで(ものすごくキワドイやつ)宅配のお兄ちゃんとか郵便配達のおじさま達にモンロー風(死語?)もとい、マドンナ風に「はぁ〜〜〜い」なんて甘い声でクネクネしてみせて楽しんでいる。そんな事をするから、ますますこのハウスが怪しまれてしまうのだよ〜。

その日もそんな怪しい外人達と一緒にハウス前でしばし涼んでいたのだが、まゆみちゃんが「おみやげに持ってきた花火をやろう」と言い出した。外人達も一緒になってやろうやろう、という事になり私達はその少ない花火を皆で分けて火をつけた。

派手好きな外人達が、両手に2〜3本持って一斉に火をつけるから花火はパチパチとすごい音をたてて燃え上がり、その煙がモクモクと路地一面に充満した。それでも、真っ暗な路地に咲いた花火はとても綺麗だった。

その時だった。
洗濯ババァが部屋の中で何か叫んでいるのが聞こえる。
なんだ、なんだ???

ばたばたと足音が聞こえる。部屋の中で走り回っているらしい。そしてその足音やら叫び声がだんだんと近づいてきてついに玄関の戸がバタンと開いた。洗濯ババァ登場! それも裸足で・・・・。

「か、か、火事だぁ〜〜〜〜!」

裸足で立ちすくむ洗濯ババァ、そしてその前にまだ火の残る花火を手にしたハウスの外人達。口がポカンと開いてしまった私。

一瞬時間が止まった。

あの時の皆の表情は、今でもはっきりと覚えている。あ〜いうのを、目が点になる、って言うんだな。

ジャンは、例の紙袋大作戦を実行しなくとも、こんな素晴らしい結末を迎える事ができたヨと喜んでいた。よほど嬉しかったようで、まゆみちゃんの手をとり、「GOOD JOB! GOOD JOB!」って何度も何度繰り返していた。

今回は外人の勝ち〜〜〜!かな。


第四話 「ジャンの恋」


暑い夏の午後だったと思う。英語の授業を終えてハウスに戻ってみると階段にジャンが腰掛けてぼんやりとしていた。私を見つけると、あれよあれよという間に涙目になりジャンの顔を涙がぽろぽろ伝いはじめた。

「私もう駄目かもシレナイデス」
「どうしたの?」
「彼が友だちに戻ろう、とイッタヨ」
・・うわぁ〜やばい、この台詞嫌い。
「何故?」
「彼の家の人が反対シテイマス」
「そんなの2人で気にしないでやっていくって言ってたじゃない。」
「YES。でも、最近彼の態度がヘンデス。私を避けてイマス。」

20代に入ったばかりの私だったから、ジャンは私から見ればすごいオバちゃまであった。そんな年上の女性が、空を見上げて、はぁ〜なんてため息をつくほどに恋ができるなんて若くて青い私には理解できないことであった。

ジャンは日本に来て、日本人と結婚して離婚した。離婚した後も元の御主人とはとても良い関係らしく、誕生日には数えきれないくらいの薔薇の花束が届いたりしていた。ただ、今のジャンには離婚した彼より恋をしている今の彼の方が数倍も素敵だったのだろう。でも、まだ大学生の若い彼は育ちの良いおぼっちゃまで、私に言わせれば「自分の意志でジャンを選べないようなそんな男はさっさとポイしてしまえぇ〜〜」ってとこだったが、そんな事はとても言えなかった。

バスルームからジャンの声がする。
「ひーさま、イラッシャイマスカ?」
いつかしらジャンは甘えたい時や頼みごとがある時私を「ひーさま」と呼ぶようになっていたのだ。
バスルームのドアがギィ〜ッと開く。湯気で真っ白になった浴室に、お湯につかって頬をピンクに染めたジャンの白い肌が浮かびあがる。背の高いジャンが狭い狭い浴槽に体を折り曲げるようにしてつかっている。だんだんと湯気が消えてジャンの表情がやっと見えてきた。また、涙だ。目が腫れてるよ〜まったく。
「私もう駄目がもシレナイデス」

気のきいた言葉も見つからず、ジャンが好んで飲んでいたぽんジュースをグラスに入れて黙って渡した。
「日本のオレンジジュースは日本のオレンジの味ネ。このぽんジュースだけはアメリカのオレンジの味ね。」
寂しい時にはやはり故郷が恋しくなるというのは誰でも同じなのねぇ。しばらくの間2人とも黙ったままで、日が暮れていくのを小さな浴室の窓から眺めていた。

それでも私は、もしかするとそんな2人もまたこれまでと同じ笑顔で私の前にらぶらぶで登場するのだろう、と楽観視していた。だっていつも2人は一緒だったし、ジャンの部屋を訪ねると、ジャンの膝に彼がだっこされていたり(彼の方が背が低いので、そうなっちゃうのかな〜)ベットでいちゃいちゃしていたりで目のやり場に困るくらいの熱々ぶりだったのだ。お願いだかららぶらぶしている時は私がノックしても「カモ〜ン」なんて言わないで欲しいよ、まったく。

そんな2人が、ある日突然に壊れてしまうなんて・・・。

しばらくの間、2階の階段脇の黒電話の前で、彼からの電話を待ちつづけるジャンだったが、それっきり電話が鳴る事はなかった。重い空気がハウス中に流れていた。

それから1ヶ月くらいたった頃だったかな...ジャンがニコニコして私の部屋を訪ねてきたのは。
「ひ〜さま。ちょっと紹介したいヒトイル。部屋にキテ!」
なんだ?なんだ?やけに明るい声だぞ。彼が戻ってきたのかな〜、なんて少しドキドキしながらジャンの部屋を訪ねた。ジャンの横にはなんと見たことのない新しい日本人青年。それもナイスガイ。そしてvery ヤング。おまけに医大生。やったね!

でもさぁ...ジャン。その歳で、そのデカイ体で、その曲がり切ったお肌で、一体どうやってくどいたの?
ハート型の目で彼をうっとりと眺めているジャンにそんな事を聞けるはずもなく、ただただ呆れるだけの若き管理人であった。





第五話 「ナイスガイ ジェフ」


LET'S GO WORLD HOUSEといえば、何故か夏の事ばかりが思い出されてしまうのは何故だろう。思い出のバックにはいつも夏の青く高い空がある。

入居当初、私の隣の部屋にはカリフォルニアからやってきたという、めちゃくちゃ格好いいジェフが住んでいた。ブロンドヘアで深いブルーの瞳、そして笑うと真っ白な歯が綺麗だった。めちゃくちゃナイスボディで、暑い日の単パン姿のジェフの体はただただ美しく、若い管理人は廊下ですれ違うだけでもドキドキしたものだった。私は個人的にアメリカといえば東海岸の方が好きだが、ジェフを見ている限りではウェストコーストもいいかもね〜なんて思えるほどの・・・それくらいのナイスガイだった。

ジェフには髪の長い日本人の彼女がいて、二人はいつもきちんとした身なりでよくデートへ出かけていたが、彼女がジェフの部屋に入った事はなく、出かける時もいつも玄関先でジェフを待っていた。狭くて暑くて汚いアパートだから彼女も呼べなかったんだよね。管理人としては申し訳なかったです。

それでもハウスに住む外人達はいつでも部屋のドアを開けておいて、開いている時は誰でも入っていいよ、というようなきまりだったから、私は困った事がある度に(それを言い訳にして)ジェフの部屋へよく遊びに行ったものだった。

ある夜のこと私はベットに入ろうとした時に天井をつつつ〜と走る黒い物体を発見!げげっ、ゴキだ。この世の中で私の最も恐れるゴキブリ。心臓がばくばくしてくる。うっ、どうしよう・・・。完全にその場に固まる私。

その時だった、私のちょうど真上まできたゴキ君は、何を思ったかストンとスカイダイブしてしまったのだ。固まっていた私の背中とパジャマのちょうど間に向かって突入!

ぎゃぁぁ〜〜〜ぁ〜〜!

騒ぎまわる私。その声に驚いてお助けマン・ジェフの登場。

私「ここにゴキが入ってる(ぶるぶる・・・)」
J「大丈夫、ほらもうそこを走っているよ」

半泣きの私を慰めながらジェフはそのゴキ君を目で追いながら叫んだ。

J「あ、あいつだよ!」(え?あいつって?)
J「MY FRIEND!」
J「よく見てごらん。背中が光ってるデショ」

よくよく見るとゴキ君の背中に丸い緑のような黄色のような模様が・・
何これ??

固まったまま、そして目に涙をためた管理人に優しい声でジェフが説明をはじめる。

「このアパートにはたくさんのゴキがいるよね。」(うん、うん。)
「殺しても殺しても追いつかないよね。」(うん、うん。)
「だから、僕はゴキで遊ぶ事にした。」(え?)
「まずゴキブリを素早く捕まえて、背中に蛍光塗料を塗る。」
「そして離してやる。」
「するとある日そのゴキ君はまた僕の部屋にもやってくる。」
「印つけたから暗闇でもよくわかる。」
「それでどうすると思う?」(そんなのわかんないよ〜)

ジェフは自分の部屋にもどりY字型の枝でつくったパチンコを手に戻ってきた。

「これで、そのゴキ君を狙ってパチン!」

言葉をなくした私に、最後のとどめ。

「暇な時にはたくさん集めておいて一斉に離すんだ。すると部屋中に怪しい光が動き回っておもしろいよ」
「どんな事でも楽しんでポジティブライフね!」

隣の部屋で、そんな恐ろしい事が毎夜毎夜繰り返されていたのか。そしてつまりは、こわくなったゴキ君達は私の部屋に逃げてくるって訳ね。いくらポジティブっていったって、そんな・・・。

次の日の朝一で、アパートを経営している社長へ電話をして部屋を代えてもらえるように頼んだ私。(ジェフごめん)
しかし幸か不幸か、今度の新しい部屋は洗濯ババァ側のおまけにジャンの真下の部屋。

この先、管理人の運命やいかに・・・。






第六話 「ジャンお手製エレベーター装置」


ジャンの真下の部屋に移る事になった私は、まずジェフに言い訳をしなくてはならなかった。「ごめんね、ジェフ、あなたとあなたのゴキ君達には悪いけど・・・」なんて事言える筈もないので管理人としての働きぶりが認められて少し広い部屋をもらえる事になった、とだけ伝えて荷物を移動した。(大嘘つき管理人)

新しい部屋は3畳と4畳半であわせて7畳半。それに小さなキッチン付きの、ワールドハウスでは一番広い部屋だった。4畳半の一番日当たりの良い場所にベットを置いた。窓は隣の家の大きな庭に面していたのでよく手入れされたその庭の緑をひとりじめして楽しむ事ができた。そしてその狭い空間の中で、その窓際というのが、洗濯ババァのアパートから一番遠かったのだ。(とはいっても1メートルくらいしか違わないけど・・・)カンカンカンという音が少しでも遠ざかるようにと無駄な抵抗をしたのだった。

私は自分の部屋を飾るのがとても好きなので、小さなその空間を上手に飾って快適な私だけの城ができあがった。普段は部屋のドアは開けておいて外人達が自由に訪ねてこれるようにしておいたが、外出の時と夜眠る時、それからボーイフレンド(後の私の旦那様)が遊びにきた特はドアを閉めた。ハウスにいる、というのがわかっていて、昼間から私の部屋のドアがしまっていると、ジャンがすぐ怪しんでノックしてくる。
へへへ・・ノックしたって開けないわよ〜。いつでも「カモ〜ン!」のジャンとは違うの。

ある秋の日の事だ。ベットの上でぽかぽかとした秋の日差しを楽しんでいる時だった。なんとなく一人の時間を誰かに邪魔されたくなくて部屋のドアを閉めていた時だった。外人達にとっては、ドアが閉まる=部屋で彼といちゃいちゃしている、って事だったらしい。ノックをすればちゃんと返事をするつもりだったのだが、もうすっかり頭の中で想像を固めて遠慮してしまったジャンだった。

ベットで寝転がって外を見ていると空から何やら変なものが降りてくる。細いロープの先には小さな籐の篭が結びつけられていた。

????

その篭が窓ガラスをガンガンと容赦なく叩く。
なんだ?なんだ?と窓を開けて外をみると、上の部屋の窓からジャンのニヤニヤした顔が見えた。篭の中にはメモが1枚。

「How is it?」

な、な、なんだ〜?
このitってのは何?と、改めてジャンを見上げてみる。
フフフ..と笑うジャン。

「何やってるの〜?」と聞いてみると
「最近ひ〜さまの部屋しまってる事多いです。彼と忙しそうデス。これからはこれでメッセージ届ケルヨ」

まぁまぁ、よく考える事。
でも、そっか〜。最近自分のプライバシーがあまりにもオープンになってきている事に疲れてきて、ついつい部屋に閉じこもる事が多くなっていたなぁ。いけない、いけない。ジャンだけでなく、他の外人達も寂しかったのかもしれない。私は、初心に戻ってまた管理人として勤めを果たそう!なんて深く反省し次の日からはまたドアを開けるようにした。

それなのにジャンったら、その自作エレベーターがとても気に入ったらしく、何でもかんでもその篭で用を足そうとする。あれを取ってくれ、だの、これを翻訳してくれ、だの、まぁ忙しい。ジャンはいいわよね〜。用がある時にその篭でガンガンって私を呼びつければいいのだもの。でも私からはジャンを呼ぶ事はできないから、雨の日も風の日も外付けの階段をカンカンカンとあがって一番奥の部屋までご希望のものを届けに行かなくちゃいけないんだもの。。。それにその篭は時々転倒したり、ロープがはずれたりして中身が隣の庭にどさって落ちちゃってさ。「ひ〜さま、悪いねぇ〜」のジャンの声に、ついついNO!って言えなくて隣のお宅まで頭をぺこぺこ下げて拾いにいったのも、この心優しい管理人だったわよね〜。

でも、ジャン。あの頃ってすごく楽しかったね。今も幸せに暮らしているといいな、と思う。あの医大生と結婚して、お医者様のワイフとなったところまでは知っているんだけど。その後音信が途絶えてしまってつくづく寂しい元管理人だよ。





第七話 「エジプト人アラン その1」


秋も深まり、管理人もすっかりハウスの生活に慣れてきた。このハウスにはジャンのように長期で滞在している外人の他に2〜3日から数週間の短い間だけ滞在する外人達もいた。夏休みだけ日本に旅行に来ている学生のグループからきちんとしたビジネスマンまで、国籍も職種も様々だった。口こみやJAPAN TIMESのアドでこのハウスを見つけた外人達を池尻大橋の駅へ迎えに行って部屋を案内するのが管理人の仕事のひとつでもあった。

ある日、会社から電話が入り、今エジプト人がそちらに向かったからすぐに駅まで迎えにいってくれ、との事。
エジプト人? エジプト人って何語をしゃべるのですか?と聞きかけたところで電話が切れた。

え〜どうしよう。
まぁ、悩んでいても仕方がないので駅へと急ぐ。

駅にはすでにエジプト人らしき男が立ってあたりをキョロキョロと見回していた。背は私より低く、りっぱなお髭に綺麗な目。きちんとしたスーツを着て、一見とても偉そうなエジプト人だった。

とりあえず「Hello...」と声をかけると、訛はあるが一応英語で返事が戻ってきたので安心した。彼はアランという名で、エジプト大学の教授。なんでも大事な会議があるらしく、今回の滞在は1カ月との事。こんなお偉い先生をあのワールドハウスに滞在させる訳にはいかんだろ〜と思いながら、部屋が埋まればどんな客でもOK〜のオーナーのY氏を恨んだ。

日は暮れはじめていた。私とアランはハウスに到着。ハウスでは好奇心の強いジャンが「ハァ〜イ」と早速のお出迎え。
「汚いところですけど・・」と断って部屋を見せた。アランは難しいような、驚いたような表情で困った様子だったが、慣れない土地で疲れているらしくその日はハウスに泊まる事になった。が、やはり翌朝には荷物をまとめて都内へのホテルへと移ることになった。

そりゃぁそうよねぇ・・・。朝は早くからカランカランと洗濯ババァはうるさいし、部屋は暗くてじとっとしているし、シャワーだって順番待ちだし・・・

次の朝早く、私は気の毒に思って駅まで一緒に見送りに行った。途中色々な話をしている中でアランが数日後に開かれる歓迎パーティで日本語で挨拶をしたいと思っている事。1カ月の間だけの日本語教師を探している事がわかった。

「私でよければお手伝いしましょうか・・・」

アランはちょっと驚いた表情をしたが、すぐに明るい顔をして日本語で「ありがとう」と言って笑った。エジプト人と話したのはその時が初めてだったが、どんな国の人であっても、結局は同じ人間なんだな〜ときらきらと光るアランの目を見て思った。

つまりは人と人、そして心と心の問題よねぇ〜なんて妙に納得して、ちょっぴり満足気な私だったが、やはりまだ青かっか・・・。その後まさかそんな恐い目に会う事になろうとは、思ってもみなかった管理人であった。




第八話 「エジプト人アラン その2」

アランが半蔵門のホテルに移動した後、私は週に3日の約束で日本語教師としてアルバイトをはじめた。

最初のうちはホテルのロビーでレッスンをしていたのだが、ホテルの従業員やお客様の前でのレッスンはアランにとってもはずかしいものだったらしく、私達は場所を移す事にした。

「ヒロミ、僕の部屋でレッスンしよう」

え?部屋ってホテルの部屋よねぇ。いくら何でもそれはヤバイでしょ。

ところがアランは私の返事を待たずにフロントへ行きホテルのマネージャーを呼んだ。そして私をマネージャーに紹介し、自分の大事な日本語の先生だから丁重に扱う事、私が来たらアランに連絡を入れて部屋へ案内する事、とさっさと話を進めてしまったのだ。ホテル側としても長期滞在のアランは特別扱いだったらしくマネージャからは「かしこまりました」と笑顔で返事返ってきた。

「アラン、やはり部屋はまずいと思うよ。」と言ったものの「ヒロミは僕を信用できないというんだね。それは僕が外国人だからかい?」みたいな事を悲しそうな顔で言うものだから私はそこで断れるはずもなくアランの部屋についていく事になってしまった。

アランの部屋はシングルとは言え、広々としていて、ホテルというよりは簡易マンションのような感じだった。大きなベットの横には、何十冊もの分厚い本が重ねてあり、ドアの開いたままのクロゼットには何着もの黒っぽいスーツがかかっていた。

アランは2人分のコーヒーを入れて、窓際の丸いテーブルの上に置いた。そして私達は日本語のレッスンを再開した。

初日はドキドキしたが、とても紳士的なアランはレッスン中もまじめに日本語の練習をしたし、さすが頭がきれるとあって覚えも早く「日本語以外は使わない」という2人の約束もきちんと守って簡単な会話はすらすらと問題なくできるようになってきた。今で言えば、ちょうどあの横綱の曙の話すような日本語のようだったと記憶している。そして私もアランの部屋を訪ねていく事にだんたんと慣れていった。何よりもアランは私の日本語のレッスンをとても気に入ってくれたし、それはその当時日本語教師を目指していた私にとってもとても勉強になるものだった。

そんなある日アランが私にエジプトに来て日本語教師にならないか、と話を持ちかけてきた。エジプト大学内に留学生のための外国語のプログラムがあるらしく、アランはこの日本滞在中にそのための日本語教師を一人探さなければならなかったらしい。アランが見せてくれた分厚い書類にはアランの言う通り、その概要が細かく書かれていた。プログラムの内容の他に、住居と車は大学側が提供してくれるという事や、かなり高額の月給や年収の記載まであった。そして更に年2回長期休暇がとれる事や、その休暇を利用して日本へ帰国する場合はチケットまで準備してくれるという事まで。就職活動中の私にとっては、正直言って魅力的な話だった。

私はその短い時間の中で色々な事を考えた。日本脱出。アメリカ行きの夢。家族やボーイフレンドと離ればなれになってしまうこと。エジプトの気候や治安の事、等々....。

次回までに気持ちを決めておいてほしいと言われた私は、3日間のうちにエジプト行きを決心したのであった。




第九話 「エジプト人アラン その3」

次の日から私はエジプトに関する資料集めを始めた。
エジプトの気候、食生活、文化、通貨等の他にも大学周辺の地図を探して、カイロでの自分の生活を思い浮かべた。
寂しいだろうか、でも楽しそうだ。うん。すごく面白そう!

宮崎の両親にもエジプト行きについて話をした。両親はアメリカくらいならともかく、何故エジプトなの?と呆れていた。そりゃそうよね。大事な一人娘が一人でエジプトに行くなんて、今思えば私が両親の立場だったらやはり焦ったと思う。それでも、もう私はエジプトに行くしかないのだわ、としかと心に決めた私の心にはもう他の事なんて、そして誰の言葉も入ってこなかった。

アランの日本語のレッスンはその後も順調に進んでいた。授業が終わると、短い時間の中で私達はエジプト行きの手続きのための書類を書いたり、向こうにいってからの住宅の話をしたりした。ガレージつきの大きな住宅や車まで準備された、夢のような生活はもう目の前まで来ていた。

何枚もの英語の書類を書き、推薦状等を取り寄せて準備はちゃくちゃくと進んでいた。

ところがある日、日本語のレッスンが終わり、いつものように部屋を出ていこうとしたその時、アランが私を見つめていった。ゆっくりとした日本語だった。

「ひろみさん、僕はあなたが好きです」

そしてアランは私の手を握った。
げげっ!アランは確かに紳士だし、悪い人ではない。でも私にはそんな気は全然なかったのだ。アランは続けた。

「ひろみさん。僕と結婚してください。エジプトに行ったら一緒に暮らしましょう。」

え〜〜〜?それって、何?この日本語教師の話には、もれなくアランとの結婚、ってのがついてくるって訳?
そんな事聞いてないぞ〜!
アランは手を離してくれない。私の返事をじ〜っと待っている。

「アランごめん。あなたはとても良い人だけど結婚は出来ないです。」

アランは寂しそうな顔だった。でも本当の事だもの。愛のない結婚なんて出来ないわ〜。
なんだかがっかりしてしまって、それ以上言葉も見つからず、もう一度だけ「ごめんね」と言い残して私は部屋を出ようとした。でもアランは手を離してくれない。

「ひろみさん。だったら、せめて、日本にいる間だけでも・・・」

え?何?何だ何だ?いる間だけどうしろと言うの???
もうその後はアランの手を振払って、もう後ろを振り帰らず、ひたすら走って走ってホテルから出た。

エジプト行きの夢も、その日の分のアルバイト料も一瞬にして消えてしまった悲しい悲しい管理人だった。

(つづく....)